2009年06月20日

立体配座(りったいはいざ、Conformation)とは

立体配座(りったいはいざ、Conformation)とは、単結合についての回転や孤立電子対を持つ原子についての立体反転によって相互に変換可能な空間的な原子の配置のことである。

二重結合についての回転や不斉炭素についての立体反転のように通常の条件では相互に変換不可能な空間的な原子の配置は立体配置という。

立体配座は結合の回転に起因する自由度により、その取りうる状態の数が規定される。したがって、取りうる立体配座の数は低分子から高分子へと分子を構成する単結合が増えるにつれて爆発的に増大する。

生体分子(タンパク質、核酸、脂質、糖etc.)は各結合の立体配座が変化することで立体構造を大きく変化させる。言い換えると、高分子の各結合の立体配座の総体が高分子の立体構造を規定する。それゆえコンフォメーション変化により高分子の取りうる立体構造の特定の一つもコンフォメーションと言い表される。特にタンパク質の場合にこの用語が使用されることが多い。しかしながら、立体構造が重要であるような生体分子の場合には広く適用されている。また、特殊な状態(液相、温度、pHなどの変化)をのぞけば自発的に構造が決定される。また、特定のコンフォメーションを取ることが、タンパク質や核酸の生物学的作用発現に必須でもある。

立体配座が異なるだけの2つの分子の関係は配座異性体(はいざいせいたい)あるいはコンフォーマー(conformer)という。 非常に低温にしたり、立体的に大きな置換基を導入することで、回転や立体反転に要する活性化エネルギーが分子の持つ熱運動のエネルギーを上回るようにすると、配座異性体間の相互変換が不可能になりそれぞれの配座異性体が単離できるようになる。

X-A-B-Yというように原子が結合している単結合A-Bの回りの立体配座について考える。 単結合A-Bについての立体配座は、結合X-Aと結合B-Yの二面角で区別され、以下のように命名されている。
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二面角0~30度:シンペリプラナー(synperiplanar:記号sp)
二面角30~90度:シンクリナル(synclinal:記号sc)
二面角90~150度:アンチクリナル(anticlinal:記号ac)
二面角150~180度:アンチペリプラナー(antiperiplanar:記号ap)
単結合についての立体配座はニューマン投影図で表すことが多い。 二面角が0度、120度の場合、ニューマン投影図で見るとA上の置換基とB上の置換基が重なるので重なり配座あるいはエクリプス配座という。 二面角が60度、180度の場合、A上の置換基とB上の置換基が互い違いになるのでねじれ型配座あるいはスタッガード配座という。 さらに二面角が0度のものはシス配座(cis)またはシン配座(syn)、180度のものはアンチ配座(anti)またはトランス配座(trans)、60度のものはゴーシュ配座(gauche)という。

重なり配座はA上の置換基とB上の置換基が接近しているため立体反発があり、ねじれ型配座よりも不安定である。

2009年06月02日

1865年 Karl August Luckによる改良型

ズールの銃工であるKarl August Luckが1865年に製造した銃で、英国のスナイドル銃と同様に前装銃を後装式に改造するための案として試作された。 [7]

スナイドル銃と異なるのは、弾薬がドライゼ式の紙製薬莢である点と、撃発機構に前装銃のサイドハンマー式を流用せず、ドライゼ銃を更に改良したボルトアクション式を採用している点で、サイドハンマー式の撃発機構を収納していたサイドプレート部分は埋め木で塞がれていた。

銃身後端とネジ結合されたレシーバ部分は前装銃の銃身後方と同程度の太さでまとめられており、全体的に後世のボルトアクション小銃のように細身の形状となっていた。

ボルト本体はドライゼ銃のそれより細く、側面に2箇所のロッキング・ラグが突出しており、更にボルトハンドルは携行中に邪魔にならないよう折りたためる工夫が施されていた。
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また、ボルトによる閉鎖の構造は更にシャスポー銃に近く、ボルト先端にはシャスポー銃に先駆けて密閉用のゴムリングが装着されており、ほぼ同じ構造を実現していた。

1866年 シャスポーによる改良型 [編集]
フランス軍が1866年に採用したシャスポー銃は、紙製薬莢を使用する点とボルトアクション式である点はドライゼ銃と共通だったが、ボルトによる閉鎖・撃発機構と、ボルトが銃身(薬室)後端内部に挿入される形状へ変更されている点は、Joseph DorschやKarl August Luckによる先行改良型に酷似しており、シャスポー技師がこれらの構造を参考としていた事が伺える。

シャスポー銃最大の特徴は、Karl August Luckの発想したボルト先端のガス漏れ防止用ゴムリングをボルト外周まで大型化し、薬室内の火薬の燃焼に直接曝される部分には大型のボルトヘッドが取り付けられ、発射時のガス漏れを完全に防ぐ事に成功していた点である。 [8]

ガス漏れを封じたシャスポー銃は火薬量を増やしつつ小口径化する事で、射程・威力・弾道特性ともに前装銃やドライゼ銃を凌ぐ水準を実現していた。また、紙製薬莢内部の雷管を薬莢後端に移し、撃針が火薬の燃焼に曝される部分を短くして焼損を防ぐす改良を施していたが、この事が不発を多発させる原因となってしまい、撃針先端はドライゼ銃同様に焼損で脆くなる現象を防げず、結果としてアイデア倒れに終わり、シャスポー銃は採用から8年足らずで金属薬莢を使用するグラーライフルに改造されてしまっている。

2009年04月30日

辰韓(しんかん)


辰韓(しんかん)は、紀元前2世紀末から4世紀にかけて、朝鮮半島南部にあった三韓の一つ。帯方郡の南、日本海に接し、後の新羅と重なる場所にあった地域である。その境は、南にある弁韓と接しており、入り組んでいた。

伝説では、馬韓の王が秦の労役から逃れてきた亡命人を東へ移し、土地を与えたという。そのため、その地の言葉には秦語(陝西方言。長安に都があった頃の標準語で、この亡民が秦代〜前漢代に渡来したことを物語る)が混じり、秦韓とも書いた。秦人は王にはなれず、王族は馬韓人であった。もともと6国であったが、後に分かれて12国になった。そのうちの斯蘆が後の新羅になった。馬韓人とは言葉が異なっていたが、弁韓とは似通っていた様である。

穀物と稲を育て、養蚕を生業としていた。頭は扁平短頭であり、風俗は倭人に似ていたと言われている。
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斯蘆国(十二国中最大で後の新羅)
己柢国 (已柢・巳柢)
不斯国 (後の非斯伐国)
勤耆国 (後の迎日)
難彌理彌凍国
冉奚国 (東夷伝の他の記事中の「那奚国」と同じ国と考えられる)
軍彌国
如湛国
戸路国 (戸路・尸路)
州鮮戶 (後の卓淳国)
馬延戶
優由戶(優中・優田。「優中国」としてこれを秦氏の国とする説もある)

2009年04月15日

シャルル10世 (フランス王)

シャルル10世(Charles X, 1757年10月9日 - 1836年11月6日、在位:1824年 - 1830年)は、ルイ16世とルイ18世の弟で、ブルボン朝最後のフランス国王。即位以前にはアルトワ伯の称号で呼ばれていた。

生涯 [編集]
兄ルイ16世、プロヴァンス伯(ルイ18世)とそりが合わなかったものの、王妃マリー・アントワネットの寵臣の一人となってルイ16世治世下を生きた。王妃マリー・アントワネットの醜聞や王権に対する不満が高まり、第三身分が決起すると、マリー・アントワネットと共に第三身分の迫害に同調して、国民からの恨みを買う。第三身分が中心となったテニスコートの誓いや国民議会を王妃と共に国王政府の名の下に迫害、弾圧した事で、革命勃発の発端へと至らしめた。

1789年、フランス革命が起こると、イギリスに亡命して反革命派とともに各地を転戦した。亡命中は反ナポレオンの旗手となり、ナポレオン失脚のための援助と刺客をフランスに送り込んだ。有名なのが、1800年12月24日に起きた王党派によるナポレオン暗殺未遂事件「地獄の仕掛け事件」である。しかし結局ナポレオンを失脚に追い込むことは出来ず、ナポレオン戦争でも兄同様、大きな影響力を誇示することが出来なかった。

1814年にナポレオン失脚後にフランスへ帰国するも、ナポレオンの百日天下の間は再び亡命を余儀なくされる。この様にブルボン家の兄弟はナポレオンに対して無力であった。このため、ボルドーで反ナポレオンの挙兵演説をしたマリー・テレーズ(長男アングレーム公ルイ・アントワーヌの妃、ルイ16世王女)をナポレオンから「ブルボン家唯一の男性」と揶揄されたりもした。

王政復古後も、1820年に次男ベリー公シャルル・フェルディナンが暗殺されるという悲運に見舞われた。

1824年、兄ルイ18世が死去すると国王として即位したが、議会の解散やルイ14世時代の絶対王政復活を目指すなど、兄以上の反動的な専制政治を行なった。そのため1830年、不満をもったフランス国民により革命が起こされた。いわゆるフランス7月革命である。この革命によってシャルル10世はイギリスに亡命し、オルレアン家のルイ・フィリップが国王に擁立されて、ブルボン家直系から王位は失われた。

シャルル10世は退位する時、こう漏らしたと言う。「余も兄(ルイ16世)と同じ運命を辿るのか」と。彼は国民に不人気な長男アングレーム公に王位継承を辞退させ、気に入りの孫シャンボール伯アンリ・ダルトワに王位を譲り『アンリ5世』として即位させようとしたが叶わず、王とアングレーム公夫妻はイギリスへ亡命した。

初め、一家はスコットランドのホリールード宮殿に居をもうけたが、当時既に一般公開されていた宮殿は観光客が出入りするため居心地が悪く、なおかつイギリスは新しく王位についたルイ・フィリップと友好を保つことを重視するようになった。1832年10月、王家は新たな受け入れ先となったオーストリアへ向かい、プラハ城に入った。そこはブルボン王家信奉者が出入りする場所となったが、シャルル10世自身が王位復古に向けて活動することはほとんどなかった。彼の意に反してフランスで叛乱を起こした、次男ベリー公の妻でシャンボール伯アンリの母親であるマリーが不貞を犯したことを知ると、彼女と縁を切り、孫ルイーズとアンリを引き取った。

1835年、ボヘミア王となったオーストリア皇帝フェルディナントがプラハ城に入城することとなったため、一家はアドリア海に近い保養地ゴリツィア(現在はイタリア領)へ移った。シャルル10世はそこで、コレラにかかって死去した。遺体はノヴァ・ゴリツァ(現在のスロヴェニア領の町)にある教会へ葬られた。

もう1人の「シャルル10世」 [編集]
「フランス王シャルル10世」を称した人物はブルボン家にもう1人存在する。ヴァンドーム公アントワーヌの弟でブルボン朝の初代国王アンリ4世の叔父であるブルボン枢機卿シャルル(Charles de Bourbon, 1523年 - 1590年)である。1589年のヴァロワ朝断絶後、プロテスタントのアンリ4世の即位をカトリック同盟(カトリック教会)の貴族たちは認めず、シャルルを「国王シャルル10世」として擁立し、対抗した。しかし、この対立王は翌1590年に死去し、アンリ4世はその後数年かかって自らの王位を確立した。

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2009年03月31日

前田山英五郎

前田山 英五郎(まえだやま えいごろう、1914年5月4日 - 1971年8月17日)は大相撲の第39代横綱。本名・萩森 金松。愛媛県西宇和郡喜須来村(後の保内町、現在の八幡浜市)出身。身長181cm、体重120kg。

張り手をまじえた猛烈な突っ張りで戦中~戦後の多難な時期を強豪大関として支え、その功労に報いられる形で横綱を免許されたが、いわゆる「シールズ事件」で晩節を汚した横綱としてのイメージ、あるいは高見山の師匠としての「大相撲の国際化の先鞭をつけた親方」のイメージが強い。

前田山として [編集]
昭和3年(1928年)高砂部屋に入門、翌昭和4年(1929年)1月場所で初土俵を踏んだ。若い時期は粗暴な振る舞いで知られた。昭和9年(1934年)、新十両を前にした稽古中に右腕を負傷、傷口からの細菌感染で骨髄炎に罹り、右腕切断必至といわれる重症になった。その治療に携わった前田和三郎博士(慶應義塾大学医学部)に恩義を感じ、それまでの佐田岬(入門時は喜木山)から「前田山」に四股名を改めた。治療は腕に穴が開き、治療痕が遠目からでもわかるほどの大変さだった。昭和12年(1937年)1月場所で新入幕。昭和13年(1938年)1月場所、東小結の位置で11勝2敗、当時の大関陣がこぞって低迷していた番付運も手伝って、関脇を飛び越えて大関に昇進した。

昭和16年(1941年)1月場所、当時絶頂期にあった大関羽黒山、横綱双葉山を相次いで張り手戦法でくだし、「前田山の張り手旋風」と呼ばれた。怒った羽黒山があれは相撲ではなくケンカだと発言したともいうが、双葉山は張り手も相撲の手と発言。また、張り手を相撲の技として認めるのかどうかの是非を喚起もした。ちなみに双葉山とは入門前修学旅行で行った先で見かけた事があったため知人のような関係であった。そして双葉山とはその関係上以前は激しい稽古を行っていたため、その当時の感覚で取組を行っていた。この場所は他に名寄岩や旭川にも勝ち、対戦のあった立浪部屋の力士全員を倒している。

ある巡業中、のちにプロレスで一世を風靡する力道山といさかいになり、張り手一発で失神させたという逸話が伝わる(これは相撲界側に残る逸話であることを差し引いて考えるべきかもしれないが、大相撲力士の張り手の強力さは、福の花が北の富士を、板井が横綱大乃国を、旭道山が大関候補の栃乃和歌をそれぞれ本場所の取り組み中ではあるが下位力士が上位の力士でさえも失神させていることで実証されている。よって、張り手を売りにして横綱にまでなる力士が本気で手加減ナシで喧嘩などすれば、関脇が最高位の力士を失神に至らせることは、的確な場所に当たれば一度くらいならわけのないことだったのかもしれない)。

昭和17年(1942年)に師匠(元大関2代朝潮)が廃業すると二枚鑑札で年寄高砂を継承(4代)。昭和19年(1944年)11月場所、9勝1敗で初優勝。大関を9年18場所つとめた後、昭和22年(1947年)6月場所、初めて行われた優勝決定戦に進出。これを受けて横綱に昇進するが、すでに現役19年目であった。ところが横綱免許には前代未聞のただし書きがあり「粗暴の振る舞いこれありし時には自責仕る可く候」と条件がつけられていたという。横綱としては休場が多くなり、さらに昭和24年(1949年)10月場所(秋場所だが大阪で開催された)、初日力道山に勝ったのみで、その後5連敗を続け7日目より大腸炎を理由に休場し帰京した。休場届けを協会に提出した10月15日に後楽園球場へ行き、当時戦後初の日米野球として来日していたサンフランシスコ・シールズ(3Aのチーム)と巨人軍の試合を観戦、オドール監督と握手する写真が新聞に出て批判が集中、本人は14日目以降は土俵入り、千秋楽には取組を行なうことを希望したが認められず責任をとる形で引退した(シールズ事件)。部屋の力士たちと草野球に興じチームまで作ったほどの野球好きが仇になった。本人は後日、たまたま後楽園の前で知人と待ち合わせてるところに偶然久米正雄が現れて切符をもらった、と語っている。また、松木謙治郎(大阪タイガース初代主将、野球殿堂入り)や景浦將らとも親交が深かった。平成になってから曾孫弟子にあたる高砂部屋の横綱朝青龍が巡業を休場中にモンゴルに帰国しサッカーの試合に出場して問題になった際には前田山のシールズ事件も前例として話題に上った。

横綱在位6場所は横綱在位場所数として昭和以降では最短のワースト1位、皆勤はわずか2場所、横綱として1場所の勝利数も9勝が最高だった。横綱通算勝率が5割未満というのも前田山だけである。「弱い横綱」のイメージを残して引退することになったが、力士としては現役21年の長命を保った。あたら横綱にならず名大関として終わっていれば、と評価されることが多い。

張り手だけでなく腰を高く上げた見るからに攻撃的な仕切りや、うっちゃり気味に体をもたれかけながらの吊りなど、殺気漲る取り口は特徴的であった。
トウワ マリンシャ パスネ マイル 琴の波 日本検索 ジュピター ライム ティーカ トラック パワステ カラー ミューズ レイオフ テレホ レイヤ チャイナ ダリー バッケン セル ハイスク チャリス おおみ ウバイド ドレープ ぎおんうお かぼちゃ レコアダー フィール もちは チキン ブーバル つれあい マスカレ りざや ルマガ 伊予緋 すぺあみ スケルト 十二単 ストライプ ヒラタケ 仮面 エゴイス ゼノタイ クロスセル ドアマン パンダ アケミス サラサ

年寄・高砂として [編集]
引退後の1951年、後にプロレスラーに転向する藤田山や、若乃花や輪島の師匠・花籠となる大ノ海、八方山を連れてアメリカを巡業。以後も積極的に海外に相撲を紹介した。また、1959年には大阪場所に強く「大阪太郎」の異名を取った弟子の朝潮が横綱に昇進した。このほか大関前の山を育てるなど弟子の育成手腕は高く、高砂部屋所属の力士が幕内で最多人数を数えたこともあった。1964年には、のちに初の外国人関取となる高見山を入門させた。1967年には、高砂一門の総帥として出羽海一門を破門された九重を一門に受け入れた。高見山の初優勝を見ることなく、その1年前に他界した。

余談だが、前田和三郎が死去した日は前田山の7回目の命日だった。

主な成績 [編集]
幕内在位:27場所(小結1場所、大関18場所、横綱6場所)
幕内成績:206勝104敗39休 勝率.665
横綱通算成績:24勝27敗25休 勝率.471
幕内最高優勝:1回
優勝同点:1回
各段優勝:十両1回(1936年5月場所)、幕下1回(1935年5月場所)

2009年03月16日

熊野三山の成立まで

『熊野権現金剛蔵王宝殿造功日記』によれば孝昭天皇の頃にインドから渡来した裸形上人が十二所権現を祀ったとされ、また『熊野略記』では仁徳天皇の頃に鎮座したとも伝えられるが、創成の詳細は不明。熊野那智大社は熊野三山の中でも熊野坐神社(本宮)・熊野速玉大社(新宮)の二社とは異なり、山中の那智滝を神聖視する原始信仰に始まるため、社殿が創建されたのは他の二社よりも後である。一説には、那智山の奥にある妙法山に登るための禊祓の地だった那智滝が聖地化し、夫須美神が勧請されて当社が滝本で創建されたともいう。

806年(大同元年)の『新抄格勅符抄』には766年(天平神護2年)熊野速玉男神(新宮の主神)とともに熊野牟須美神の記述があり、それぞれ神封戸が4戸あてられている。しかし、その後は貞観元年1月27日(859年3月9日)、同年5月28日(7月26日)、貞観5年3月2日(863年3月28日)の速玉神と坐神(本宮の主神)が従五位上に昇階した事に関する『日本三代実録』の記事に牟須美神(ないし夫須美神)の記述がない。927年(延長5年)延喜式神名帳の牟婁郡6座中にも熊野速玉神社、熊野坐神社の二社のみが書かれている。

一方、984年(永観2年)の『三宝絵詞』では熊野両所として速玉神とともに当社主神の夫須美神を取り上げている。本宮・新宮と併せて熊野三山とする記述は永保3年9月4日(1083年10月23日)の『熊野本宮別当三綱大衆等解』が最も早く、これまでには三山共通の三所権現を祀る神社として成立していたと考えられる。また、『中右記』の天仁2年10月27日(1109年11月28日)条の藤原宗忠らの参拝記録から、この頃までに現在の社地に遷祀されていたとされる。
フラッド キャロ メッカ 輝きの季節 テアーゼ 上位シーン 枕千鳥 フェラテ マドラス ロマン カーボン ランク ソーホー タンプ パーティー タック ルトップ ハバナ スプレッ エンド オキサ スフマート らくだいろ ブタン カゲル キタス スタジャン ランチ シーネ ネッキ アビリテ オルガス ばなな みなせ クローバー キジムシ ガマ対策 モンテ ローコード コック ツァボラ メーター ごぼう ピギー ランナー エルシー こもづの チャド かてい ブルジュド

三山成立以降 [編集]
『長秋記』長承3年2月1日(1134年3月5日)条によると、平安時代後期には三山とも天照大神を含む御子神の五所王子と眷属神の四所明神を加え、現在のような十二所権現を祀る形が整った。しかし那智は別格の滝宮を加えて十三所権現となっており、康暦元年11月13日(1379年12月30日)の『尼性周田地寄進状写』などに記録が残っている。建仁元年10月19日(1201年11月23日)には後鳥羽上皇が那智山に参詣し、その後の1212年(建暦2年)に上皇から寄進され熊野新宮領・190石のうち12石が那智社に与えられた。

承久の乱では後鳥羽上皇らが敗れて熊野は有力な支持者を失ったが、代わって修験道の発達に伴い、三山の御師と先達による組織づくりが盛んとなった。それまでにも仁平元年2月15日(1151年3月11日)の『源義国寄進状写』に那智の御師・高坊の名が記載されている。この他にも御師として熊野別当家の一族や、那智最古の家柄という尊勝院、廊之坊などがあり、それぞれ旦那(檀家)が全国に存在した。貞応2年11月19日(1223年12月19日)には一山が焼失したが、御師らによって再建された。

南北朝時代には、熊野の勢力を勧誘するために両朝から御師宛に護摩供料などの名目で寄進が行なわれ、貞和2年8月18日(1346年9月12日)には熊野三山の検校・道昭准后が、那智山の兵部卿律師御房に駿河国北安東荘内を安堵した例などがある。 続く室町時代には各地の神領荘園からの収入が現状し、那智山権現でも年貢米が駿河国の長田・安東両荘および美作国勝田荘からのみになった。このため、有力御師・先達の活動が重要さを増し、社頭の修理なども熊野山伏や比丘尼、十穀聖などの勧進に頼るようになった。1478年(文明10年)に畿内への課役による棟別銭で那智山の造営を行なったが、弘治年間の十二所権現造営の際は、賦算札に貴庶を勧進結縁させている。

1581年(天正9年)には大名・堀内氏善が那智山への支配を強化した事に反発した御師・塩崎廊之坊が武力決起し、逆に氏善が廊之坊を攻撃した。一方で那智山内の実方院は堀内氏に付いて那智一山は二分され、廊之坊側が敗れると同年6月3日(7月13日)に一族東学坊などの跡職は実方院に与えられた。

慶長6年1月4日(1601年2月6日)の『熊野那智山神領注文写』によると神領は633石余となっている。同年には紀州藩主浅野幸長によって那智山は市野々村と二河村(現・那智勝浦町)に300石を与えられた。寛政10年大晦日(1798年2月16日)に参拝した高遠藩の砲術家・坂本天山は、建造物が荘麗で香炉には火が絶えず、社人・社僧の数が多い事を『紀南遊嚢』に記している。 近世末期の那智大社には数多くの社僧坊舎があり、1873年(明治6年)に県社に指定されるとともに那智神社と称し、さらに熊野夫須美神社と改称した。1921年(大正10年)に官幣中社に昇格して熊野那智神社と改称、最終的に1963年(昭和38年)に熊野那智大社と改称して現在に至る。

2009年03月01日

マイクロン(チーム) / Mini-Cons

セイバートロン星に突如現れた新種のトランスフォーマー。サイズは人間の子供並み。トランスフォーマー達と合体(エボリューション)することで超パワーを発揮する。総じて戦いが嫌いな性格だが、ごくたまに戦いが好きなデストロン派のマイクロンもいる。その正体は、ユニクロンの細胞から生まれたロボットだが、大昔、ある事件で自我に目覚めユニクロンの支配から開放された。

マイクロンは各種3体セットで販売。特別カラーのエクスディメンションズも存在する。

親善外交部隊ストリートアクションマイクロン / Street Action Mini-Con Team
ラッド達の乗り物をスキャンしたマイクロン。彼らのパートナーである。主題歌CDとのセットではよりアニメに近い彩色のものが販売された。トイザラス限定商品として「限定版マグナコンボイ DXセット」にクリスマスカラーバージョンが同梱された。

ウィーリー / High Wire
声 - 富坂晶
ラッドのパートナーマイクロン。地球において最初に覚醒した。マウンテンバイクに変形。中盤から人語を話せるようになる。
バンク / Grindor
声 - 中井将貴
カルロスのパートナーマイクロン。スケートボードに変形。笑ったり感情を表す時、背中の羽がパタパタと動く。
アーシー / Sureshock
声 - 前田ゆきえ
アレクサのパートナーマイクロン。スクーターに変形。他の二人のマイクロンに比べておとなしい。
バンブル / Perceptor
声 - 富坂晶
ウィーリー、バンク、アーシーの三体が合体したロボット。小柄なサイズを生かして敵を撹乱する。

航空防衛部隊エアディフェンスマイクロン / Air Defense Mini-con Team
3体共々に航空機で編成された部隊。3体でスターセイバーに合体する。玩具ではホットロッドとのセット販売もあった。また、エンディングCDとのセットではクリアブルー成型のものが販売された。

マッハ / Jetstorm
氷の中から発見されたマイクロン。コンコルドに変形。
ジェッター / Runway
火山の中で発見されたマイクロン。ソニック・クルーザーに変形。
シャトラー / Sonar
氷の中から発見されたマイクロン。彼の呼びかけにより他の2人も覚醒する。スペースシャトルに変形。
スターセイバー / Star Saber
3体のエアディフェンスマイクロンが合体した宇宙最強の剣。戦闘時には刃が青い光に包まれる。その力により過去古代文明を滅ぼしたことがある。メガトロンやホットロッド、スタースクリームの手に渡る。ユニクロン復活の最終キーの一つである。
ファンの間では、(スターセイバー、コスモテクター、アストロブラスターのセットで)「三種の神器」と呼ばれている。

陸上防衛部隊ランドミリタリーマイクロン / Land Military Mini-Con Team
3体共々に軍用車で編成された部隊。玩具ではアイアンハイドとのセット販売もあった。

ボム / Bonecrusher
砂の奥に埋もれた神殿で発見されたマイクロン。自走砲に変形。アイアンハイドは必死に手に入れたが、彼は命令違反を犯したということになり所有権がメガトロンに移る。アイアンハイドにエボリューションした時は彼の火力を強化させた。
クラック / Knock Out
スターセイバーを手に入れたデストロンが快進撃の最中に手に入れられたマイクロン。双発の臼砲に変形。
ショット / Wreckage
スターセイバーを手に入れたデストロンが快進撃の最中でに手に入れられたマイクロン。装甲車に変形。

強襲破壊部隊デストラクションマイクロン / Destruction Mini-Con Team
3体共々に戦闘車両で編成された部隊。玩具ではサンドストームとのセット販売もあった。

クラッシュ / Drillbit
使い捨てられた地下鉄で発見されたマイクロン。ドリル戦車に変形。サンドストームが手に入れ、ドリル攻撃を繰り出していた。
ダスター / Dualor
スターセイバーを手に入れたデストロンが快進撃中に手に入れられたマイクロン。対空戦車に変形。
ホイール / Buzzsaw
スターセイバーを手に入れたデストロンが快進撃中に手に入れられたマイクロン。バケットホイール型掘削車に変形。

前衛防衛部隊レースマイクロン / Race Mini-Con Team
3体共にレースカーで編成された部隊。3体でコスモテクターに合体する。玩具ではグラップとのセット販売もあった。

スピン / Downshift
レース場にて覚醒したマイクロン。プロトタイプカーに変形。両軍を翻弄するが、ホットロッドとシルバーボルトの口論とサンドストームの手によりデストロン側につく。
ドリフト / Dirt Boss
岩山で発見されたマイクロン。ラリーカーに変形。
インディー / Mirage
岩山で発見されたマイクロン。インディーカーに変形。
コスモテクター / Skyboom
3体のレースマイクロンが合体した宇宙最強の盾。その力によりかつて古代文明を滅ぼしたことがある。スターセイバー、アストロブラスターをも防ぐ力があるが、その反動により強力なエネルギーが発生する。デストロンが手に入れるが、後にグラップの手に渡りフォーメーションの基点となるが、スタースクリームに持ち逃げされてしまう。ユニクロン起動の最終キーの一つである。

高速偵察部隊ストリートスピードマイクロン / Street Speed Mini-Con Team
3体共々に乗用車に変形する。玩具ではシルバーボルトとのセット販売もあった。

ジーク / Spiral
ハイウェイのトンネルにて発見されたマイクロン。メルセデス・ベンツ CLKクラスに変形。劇中では二体登場し、最初の一体はサイバトロンが確保したがその後の一体はデストロンの手に渡る。サイバトロンが確保した直後にはカーモードでジムを車体に乗せ走行したこともある。
ニトロ / Oval
スターセイバーを手に入れたデストロンが快進撃の最中で手に入れられたマイクロン。サリーン・S7に変形。
オート / Backtrack
スターセイバーを手に入れたデストロンが快進撃の最中で手に入れられたマイクロン。キャディラック・XLRに変形。

航空戦闘部隊エアミリタリーマイクロン / Air Military Mini-Con Team
3体共々に軍用機に変形する。玩具ではスラストとのセット販売もあった。

リーコン / Terradive
デストロンが覚醒させたマイクロン。戦闘機とクローに変形。スラストにより航空戦力として使われた。
フレイム / Thunderwing
リーコンと同じくデストロンが覚醒させたマイクロン。戦闘機と手裏剣に変形。
グライド / Gunbarrel
リーコンと同じくデストロンが覚醒させたマイクロン。戦闘機とガトリングガンに変形。

宇宙攻撃部隊スペースマイクロン / Space Mini-Con Team
3体共々に宇宙設備に変形する。3体でアストロブラスターに合体する。
オーチャド ライカ フリー カクタス とかく の波 くつわむし ウォーム 聖護院かぶ デッドラ ジッダ プチ フェイク カプジ ビドム ニウム ぽぽー タンメン チエンマ かなぎ オファー アパシー スコープ ネバー ウーマンレディー イースター トーキー シュリ なっぷる 愛燦燦 マース マズルカ オシレ ラミンゴ バンス チーズバ スナイ サラセニ グリーン 夜長鳥 アバウト プレース バイアス デカダンス フラクタル シーケ イヌビユ パートナ 新秋柿 ノッキング

アポロ / Skyblast
サイバトロン基地の奥にて覚醒したマイクロン。ロケットに変形。戦いと自分の力に恐怖しており、逃げ出しラッドたちに発砲したこともあったが、自分を助けてくれるサイバトロンと自分達のために協力する。
ムーブ / Payload
アポロの呼びかけに海底で覚醒したマイクロン。ロケットトランスポーターに変形。
ミール / Astroscope
アポロの呼びかけに月面で覚醒したマイクロン。衛星に変形。
アストロブラスター / Requiem Blaster
3体のスペースマイクロンが合体した宇宙最強の銃。その威力はTFを瀕死に追い込むほどであり、グラップもその犠牲となった。ユニクロン起動の最終キーの一つである。

海上砲撃部隊シーマイクロン / Sea Mini-Con Team
3体共々にシリーズでは数少ない海洋系のビークルに変形する。玩具付属のテックスペックのカードでは、戦いと略奪が好きなデストロン派のマイクロンとして紹介されている。

ノット / Stormcloud
デストロンが手に入れていたマイクロン。高速艇に変形。ショックウェーブの艦上で狙撃を行った。
セイル / Oceanglide
デストロンが手に入れていたマイクロン。ソーラーボートに変形。ショックウェーブの艦上において狙撃を担当。
フロート / Waterlog
デストロンが手に入れていたマイクロン。ホバークラフトに変形。ショックウェーブの艦上にて狙撃を担当した。

局地工作部隊アドベンチャーマイクロン / Adventure Mini-Con Team
3体共々に局地用車両に変形する。玩具ではグラップ スーパーモードとのセット販売もあった。

ジャンク / Iceberg
サイバトロンが手に入れていたマイクロン。雪上車に変形。
スパイク / Dunerunner
渓谷でデバスターの手により回収されたマイクロン。バギーに変形。
ウィンチ / Ransack
アニメ未登場のマイクロン。SUVに変形。

2009年02月10日

流罪(るざい)

流罪(るざい)とは刑罰の一つで、罪人を辺地や離島に送る追放刑である。流刑(りゅうけい、るけい)、配流
ハンド パーム ドシア バンス ソルト オース サイバ レスト ソナー プラハ デイする 未来の喜び 足跡 せきりん シーツ 金乃竹 ブルーロー ダンエス サイエン パネル 風の華 ファイア レーション フレット リファレンス マルチーズ キールサエ ヤグルマ草 平核無柿 バイバイ オースチン はそく トウヒ ラスト フレーク ヒストリー デコル かおう 百の城 イヤー ケイブ ならたけ ワインリス ユーロス 沖の石 クイック たてじま なみがさね 汽車ポッポ モノローグ

日本では死罪に次いで重い刑であったが現在は廃止されている。

古代においては神の怒りに触れたとされたものを孤島に放逐して朽ち果てるに任せる事が行われていた。古い日本語では「ながすつみ」(当時の「罪」という言葉には、犯罪行為そのもののみならずその結果責任として生じる刑罰をも含めて一つの事象と捉えられていた)。

律における五刑の1つであり、唐においては罪の重さに応じて「二千里」・「二千五百里」・「三千里」の刑(当時の唐の1里は約560m)が課せられていたが、日本の国土は唐のように広大ではなかったために畿内からの距離によって「近流(こんる/ごんる)」・「中流(ちゅうる)」・「遠流(おんる)」の3等級が存在した。基準としては近流300里・中流560里・遠流1500里であったと言われている。

受刑者は居住地から遠隔地への強制移住と1年間の徒罪の服役が課された(遠流対象者で特に悪質なものに対しては3年間の徒役が課された)。また妻妾は連座して強制的に同行させられるが、他の家族は希望者のみが送られた。配所への護送は季節ごとに1回行われた。配所到着後は現地の戸籍に編入され、1年間の徒罪服役後に口分田が与えられて、現地の良民として租税を課された。配所到着後は現地の住民とされたために原則的に恩赦による帰国は許されなかった。もっとも、後年には流罪も含めた全ての罪人が赦免される「非常赦」がしばしば行われて帰国が許されている事例も多く存在している(『平家物語』における鹿ケ谷の陰謀で鬼界ヶ島に流された藤原成経・平康頼の例など)。また、女性への適用はされずに代わりに杖罪と徒罪の両方を課された。

平安時代の嵯峨天皇治世期に死刑が停止されたとも言われ、死刑停止時代の最高刑は流罪が主になっている。中世以後の統一権力の力の弱い分権的な社会では流罪の替わりに追放(自己の地域からの排除)が用いられた。江戸時代には追放よりも重い刑と規定されて「遠島」(えんとう)と称されており、江戸幕府では江戸の流刑者を主に八丈島などの離島に流した(ロシアが蝦夷地への進出を図った19世紀には蝦夷地への流刑先変更が検討されたが、松前藩の反対で中止されている)。また、南西諸島への遠島も行われていた。古くは平家物語に現れる鬼界ヶ島の例であり、江戸時代には薩摩藩が政治犯を支配下に入れた琉球へ盛んに送っている(主に奄美諸島、沖縄諸島への例もある)。また少数ではあるが、江戸幕府が町人を沖縄本島へ送っている。

赦免は刑期満了のほかに、本国で改めて投獄・処刑するためにもなされる。日本では主に日本周辺の島に送られるが、欧米では植民地にした海外領土(#日本国外)に送られることもあり、国内流刑と国外流刑は刑として区別される。

日本における流罪は現在の刑法が制定された明治41年(1908年)まで存在した。明治時代の流刑地は北海道で、流人は監獄に収監され、重労働を課せられた。

左遷との関係
律令制においては、罪を犯した官人を左遷する事が行われる。有名な例としては右大臣から大宰権帥に左遷された菅原道真や、藤原道長との権力争い(長徳の変)で敗れた藤原伊周(内大臣→大宰権帥)・藤原隆家(中納言→出雲権守)兄弟などがあげられる。こうした例に対しても一般には「流された/流罪にされた」という表現をされることが多いが、実際には幽閉状態とはいえ、左遷の場合には俸禄が与えられ恩赦による帰還もあり得る為に実態は流罪でも法的にはあくまでも左遷であって流罪ではない。なお、伊周・隆家は後に赦免されている(隆家は後年、病を得て大宰権帥となり刀伊の入寇を撃退している)。

流罪と文化
流罪にされる場合、暴力犯より政治犯が往々にして遠くに飛ばされる。政治犯は多くの場合文化人であり、特に古い時代は貴族など位の高いものが多かった。したがって、そのような人物が多数流される地には豊かな文化が伝えられ、栄える例が多い。日本では佐渡などがその例に挙げられる。琉球王朝の場合、これに当たるのが八重山であり、特に波照間島が有名である。

用語
流刑地
流刑の対象地。
流人(るにん)
流刑を受ける罪人。
島流し、遠島
流刑のうち、流刑地が離島の場合をいう。
島破り、島抜け
島から脱走すること。
赦免(しゃめん)
刑期を終えたこと等により流刑としての罪状が解かれる(離島への流刑であれば、本土への帰還が許される)こと。「ご赦免」とも言う。
赦免状
本土から流刑地を治める代官に届く書状で、特定の流人に対する赦免を許す旨が記された物。
赦免花
八丈島におけるソテツの花を指す。これを見つけた流人の多くに不思議と赦免の知らせが届いたとされることからこの名がある。

主な流刑地と流人
日本
律令体制下の日本では、流には3つの分類があった。

近流: 越前・安芸など
中流: 信濃・伊予など
遠流: 伊豆・安房・常陸・佐渡・隠岐・土佐・薩摩など
以下、時代に関わらず流罪になった著名人を列挙する。江戸時代の大藩には藩内に流刑地を持つところもあった(例:仙台藩の田代島・網地島・江島、加賀藩の越中五箇山、土佐藩の白滝、薩摩藩の沖永良部島)。

蝦夷地:花山院忠長
陸奥国:隆寛、河野通信、円観
出羽国:沢庵宗彭、本多正純
越後国:源成雅、明遍、親鸞、坊門忠信、菊亭晴季
佐渡国:安宿王、伴国道、藤原致忠、源頼治、源義綱、源明国、藤原盛憲、源成雅、文覚、順徳上皇、日蓮、京極為兼、日野資朝、世阿弥、小倉実起
常陸国:麻績王、藤原季仲、藤原教長、行命、阿野全成、万里小路藤房、土方雄久
上総国:平時実
下総国:北条顕時、花山院師賢、大野治長
安房国:紀豊城、難波頼経
上野国:緒方惟栄
下野国:源師仲、藤原成憲、澄憲、万里小路季房
相模国:藤原高衡
伊豆国
伊豆半島:藤原良継、氷上川継、長野女王、橘逸勢、文室宮田麻呂、伴善男、源光清、藤原実政、仁寛、源頼朝、源通家、山木兼隆、文覚、忠快、高階泰経、難波頼経、日蓮
大島:役小角、源惟清、源為朝、鹿野武左衛門
八丈島:宇喜多秀家、永見大蔵、竹内式部、近藤富蔵、大岡忠品
三宅島:英一蝶、生島新五郎
新島:相馬主計
神津島:ジュリアおたあ
青ヶ島:佐々木卯之助
信濃国:伊賀光宗、絵島、吉良義周
甲斐国:源義清、源清光、蘭渓道隆、有馬晴信、良純入道親王
能登国:平時忠
越前国:中臣宅守、源顕清、一条実雅、上杉重能、畠山直宗
尾張国:藤原師高、藤原師長
伊勢国:松平忠輝
近江国:大久保忠隣
紀伊国:真田昌幸、真田信繁
丹波国:静賢
但馬国:雅成親王
播磨国:山鹿素行
伯耆国:長谷部信連、里見忠義
美作国:松倉勝家
備前国:藤原成親、松殿基房、頼仁親王、宇都宮国綱
備中国:能円
備後国:和気広虫、平信範、平信基 松平綱国
出雲国:藤原兼長、平時忠、藤原尹明
石見国:小野寺義道
安芸国:源国直、源行綱、全真
隠岐国:藤原田麻呂、藤原刷雄、藤原雄依、小野篁、伴健岑、平致頼、源頼房、源義親、藤原経憲、板垣兼信、佐々木広綱、後鳥羽上皇、後醍醐天皇
周防国:源仲宗、藤原季仲、藤原範忠、宇都宮朝業
長門国:藤原惟方
淡路国:淳仁天皇、不破内親王、早良親王
讃岐国:崇徳上皇、三好吉房
阿波国:源仲清、藤原成隆、藤原経宗、良弘、土御門上皇、堀田正信
伊予国:木梨軽皇子、藤原雄友、安倍宗任、覚憲、松平光長
土佐国:蘇我赤兄、石上乙麻呂、大伴古慈斐、氷上志計志麻呂、弓削浄人、讃岐永直、紀夏井、菅原高視、源則理、源頼親、源頼資、源光信、源盛行、藤原実清、藤原師長、源希義、源隆保、法然、宇都宮朝綱、土御門上皇、京極為兼、尊良親王
筑前国
大宰府:安倍良照、菅原道真
筑前大島:安倍宗任
対馬国:日奥
壱岐国:船王、幸西
肥前国:源頼房
豊後国:宇都宮頼綱、松平忠直
大隅国:和気清麻呂
薩摩国
薩摩半島:源光保、佐々木定綱、近衛信尹
鬼界ヶ島:俊寛、平康頼、藤原成経
硫黄島:文観、高倉永藤、大炊御門頼国
沖永良部島:大久保利世、西郷隆盛
喜界島:村田新八
奄美大島:東郷位照

日本国外
イギリス
オーストラリア、タスマニア島など
ロシア
シベリア:フョードル・ドストエフスキー
フランス
仏領ギアナ・デビルズ島
ニューカレドニア
セントヘレナ島:ナポレオン・ボナパルト
朝鮮
済州島
インド
アンダマン・ニコバル諸島

転語
会社組織において地方、特に重要ではない部署に異動させられることを左遷というが、特に小さな部署や遠方の支店などへ異動させられた場合「島流し」と表現することがある。

2009年01月24日

パーフェクトガンダムに代わる京田四郎の愛機


キャリ プラス 百目柿 コロッケ ピロー ビリア ブルース プレイパ ライブ 二輪草 タイム ミルク とまぴ こげちゃ だいせん おおば ダブル ネービ ヨハネ ほろば リル アイアール カレンシー がいせい ハイピッ にがうり トラップ フィス マロニ 紅い橋 プロイ みぎわ フォト モールド パンク メーク トリオ カバラ ライチー ハラム ギキョウ ナビリネン げきけい ブタノール スワン ナレッジ コクシ ディン トルコ マグレブ
講談社発行の雑誌「コミックボンボン」に連載された漫画『プラモ狂四郎』に登場した「パーフェクトガンダム」を、小田雅弘が『モビルスーツバリエーション』に加えるため宇宙世紀に存在したモビルスーツとしてより軍用機らしいデザインにリファインすることで誕生した。『プラモ狂四郎』では逆輸入する形でパーフェクトガンダムに代わる京田四郎の愛機として登場する。後にパーフェクトガンダムIIIこと「レッドウォーリア」の登場に伴い「パーフェクトガンダムII」(単行本ではパーフェクトガンダムMk-II)とも呼称されるようになった。「コミックボンボン」ではこのパーフェクトガンダムIIを、「1/144 フルアーマーガンダム」の成形色を変更してデカールなどを追加した上に、「ガンダムフルアーマータイプカスタム」という名称を付けて読者プレゼントも行っている。なお、『狂四郎』ボンボン誌上初出時には「ストロングガンダム」という通称が付けられたが定着はせず、単行本化の際に削除されている。

また、プラモデル化された際にはボックスアートに複数の本機が活躍する様が描かれているが、これはニュータイプ部隊による集中運用を想定したCGであるという設定になっている。

連邦軍最強のモビルスーツであるガンダムのパワーアップバージョンということでガンダムをテーマにしたビデオゲームや漫画等で登場することも多いが、他の作品との整合性をあまり考慮していない場合が多い。

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セミアーマードガンダム
『プラモ狂四郎』に登場。RX-78-2をベースに、胸部と脚部に部分的な増加装甲を施したもの。武装はノーマルのビームライフルをそのまま装備。

作中ではフルアーマーガンダムの考案者である小田雅弘が、京田四郎にその設計図を託す前に特訓用として製作し披露した。その他の詳細な設定などは不明である。

ガンダムアーマードタイプ
バンダイのプラモデル「マイクロガンダム」に登場。フルアーマーガンダムの上半身の装甲のみを装備したタイプ。

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ヘビーガンダム
この節には『独自研究』に基づいた記述が含まれているおそれがあります。解釈、評価、分析、総合の根拠となる出典を示してください。

ヘビーガンダム (HEAVY GUNDAM) は、プラモデルを中心して展開される予定であった企画『MS-X』に登場する、地球連邦軍の増加装甲試験型モビルスーツ(型式番号:FA-78-2)。

機体解説
フルアーマーガンダムの開発系譜に属するが、増加装甲を取り付けるのではなく、本体そのものの装甲を重厚にすることで耐久性の向上を目指した機種。

ヘビーガンダムはガンダム以降の新型モビルスーツ生産計画によって生み出された試作モビルスーツの一つである。地球連邦軍には重装甲により搭乗者(もしくは機体の機密)を守るべしという伝統があったようで、ガンタンクやガンキャノンの重装甲はそれを物語っている。そのため重武装・重装甲として開発されたのがに代表される重装甲のフルアーマーガンダムであった。

ルナ・チタニウム(後にガンダリウム合金と改称)に覆われたガンダムはザクIIのマシンガンをものともしなかったが、改良型のグフには腹部装甲板を損傷させられている。そのためガンダムの全身を追加装甲で覆うという案が浮上したが、脱出機構であるコア・ファイターが使用不能となるというジレンマも合わせ持つこととなった。そこで第一案としてフルアーマーガンダムとして増加装甲は全て排除できる形での追加装甲が、第二案としてコア・ブロック・システムを持たない装甲強化型のヘビーガンダムが企画されたといわれる。

ヘビーガンダムはコア・ブロック・システムを持たず、かわりにコクピット周辺装甲の強化が特徴で、腹部コクピット部分は胸のダクト形状を変更するほどの大きな球状の装甲に覆われている。右肩に大型のビームキャノンを固定武装として持ち、両足には増加スラスターが追加され、増えた自重に対処している。頭部のセンサーは信頼性の高かったガンキャノンと同様のものが採用されているようで、従来のデュアルセンサーではなく、バイザー状となっている。

劇中での活躍
地球連邦軍のデン・バザーク大佐率いる特務部隊において同大佐の乗機として使用されたといわれている。この部隊はジオン公国軍のペズン計画を調査するために編成されたものであるという。

長谷川裕一の漫画『MSV戦記 ジョニー・ライデン』では、宇宙世紀0082年にジオン共和国防衛目的に使用されていたが、ジオン公国軍残党Dr.Qの乗るパーフェクト・ザクによって撃墜される姿が描かれている。搭乗者等の詳細は不明である。ただしこのコミック自体は公式設定という訳ではない。

漫画『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』に登場したRX-78-01 ガンダム01号機は、カラーリングを除けば本機に非常によく似ている。

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高機動型ガンダム
ゲーム『機動戦士ガンダム ギレンの野望 ジオン独立戦争記』に登場。ガンダムの背部及び脚部に補助推進装置を装備した高機動タイプ。FSWS計画における高機動タイプの一つに相当すると思われるが、詳細は不明である。実機の開発が行われたかどうかは疑問が持たれている(型式番号:RX-78-2)。

2009年01月17日

東の海神 西の滄海

作品の刊行順とストーリーの時系列は異なっており、時系列で並べ替えると以下の順になる(回想シーンなどを除く)。なお括弧内は初出刊行年。

『東の海神 西の滄海』(1994年)…約500年前
『漂舶』…約400年前
『図南の翼』(1996年)…約90年前
『華胥』‐理想を追いすぎた前采王の失道と禅譲。
『風の海 迷宮の岸』(1993年)…約5年前
『冬栄』‐泰麒が漣国を訪問する。廉麟とは誼があった。
『月の影 影の海』(1992年)…基準年
『丕緒の鳥』(2008年)…陽子即位年
『書簡』‐陽子と楽俊が、互いに背伸びした姿を伝え合う。
『風の万里 黎明の空』(1994年)…約1年後
『乗月』‐芳で仮王として立つことを決意した月渓と、自身の罪を悔いる祥瓊。
『帰山』‐諸国を旅している途中の尚隆と利広が倒れかけた柳で出会う。
『黄昏の岸 曉の天』(2001年)および『魔性の子』(1991年)…約2年後

シリーズ展開の特徴
本シリーズの展開経過は次のような特徴を持っている。

最初に外伝が(それも異なる出版社から)刊行されたこと。
ライトノベルで始まった人気シリーズの場合、最初に本編が刊行され、本編の刊行が進み人気が出てくるとともに外伝などが出されるようになるのが一般的であるが、本シリーズの場合は外伝が先に新潮社という別の出版社の一般向けレーベルの文庫で1冊だけ刊行され、その後本編が講談社のライトノベル文庫で刊行されるという特異な経過をたどってシリーズ展開された。また、6年半ぶりの新作となった『丕緒の鳥』は再び新潮社での発表となった。
最初はシリーズであることが明らかにされなかったこと
シリーズものとして展開される作品の場合、通常は第1作からシリーズものであることもシリーズ名も明記して刊行されるが、本シリーズの場合、ホワイトハートで刊行された最初の数冊はシリーズものであることすら明記せずに刊行されており、後述のとおりシリーズ名がついたのもずっと後になってからである。
恋人の色 ビーチ オーデコ ダチョウ 夢の恋路 ドゥーム プライマー ばんどう エブロ 黄昏ワル てっぷ フォロ フィラ チジン やはぎ ファイ ルソー フレンド アンラ イーシ フォークタ すずりいし らいち 夢待人 四季彩 日本の島々 真珠 デレヨイ ツーリスト オブソリ トーキ きがん サガ スクアレ スイムタル オーバル タージ ヒュッテ ミニホ ラーキー オービス スカフェ タイム イメージ ロボール 愛の ロンドン スターム ライブラリー マゼラ

ジュニア向けレーベルの文庫から一般向けレーベルの文庫へと展開されたこと
本編が数作刊行され、ホワイトハートでの人気シリーズとなってから様々な形で書評に取り上げられたが、その中に、「本シリーズは一般の成人が読むのに十分ふさわしい内容を持っているが、それがライトノベルの文庫から出されていることだけを理由として読まずに避けられているとしたらもったいない。」といった趣旨のものがあり、当時多くの作家・評論家らによって同趣旨の書評が書かれたことから、同じ出版社の一般向けレーベルの文庫から刊行されることになり、これによって一般向けの知名度が大きく上昇することになった。[1]
ジュニア向けレーベルの作品の一般文庫への展開は現在米澤穂信や桜庭一樹など盛んに行われているが、当時は低年齢向けと高年齢向けの二つの文庫をまたぐことが極めて稀だった。
同人活動とかかわって展開されてきたこと
著者自らが本シリーズの外伝や番外編にあたる作品を入れた同人誌を発行するという同人活動を行っていた。それらの作品の一部は後に文庫に収録されている。

シリーズ化とその名称
現在、このシリーズは公式に「十二国記」と呼ばれており、そのことは表紙・カバーなどにも明記されているが、当初このような表記はされておらず、1991年9月に出版された『魔性の子』は出版社が異なることもあってか、シリーズものであること自体明らかにはされなかった。

「十二国記」という呼び方の元である「作品世界に12の国が存在する」という事実は、1992年に出版された『月の影 影の海』において初めて明らかになった。しかし、『魔性の子』の続編であり、本編であるという位置づけはされていたものの、今後も続くシリーズ作品であることは明らかにされなかった。シリーズ作品であることが明らかになったのは、1993年に出版された『風の海 迷宮の岸』の後書きにおいてであるが、シリーズとしての名称は特に明らかにされてはいなかった。

正式な名称は無かったが、早期の作品から読者は「十二国」または「十二国記」と呼んでいた。このことは著者自身も知るところであり、著者自身が編集者との打ち合わせなどでもこのシリーズのことを「十二国」と呼んでいることを語っている。しかし、作者自身はこの呼び名を「あくまで便宜上のもの」であるとし、シリーズには名前がないことを明言している。その理由は著者により「この作品ではこの世界の十二の国全部が描かれているわけではないし、今後も十二国全てを描く予定は無いので十二国記と呼ぶのはある意味嘘になるから。」であると説明されていた[2]。また、正式に「十二国記」と呼ばれる以前は、「12の国の物語」と記載されることもあった。

「十二国記」という名称が初めて正式に用いられたのは、1994年9月に出版された『風の万里 黎明の空(下)』の後書きにおいてである。著者は一貫して「名称はない」としていたものの、方針が変更された理由は編集部から要望があったためとのことであると明かしている[3]。以降は重版されたものも含めて表紙や帯などに「十二国記」と表記されるようになったが、ホワイトハート版では上記の通り当初はシリーズ名の表記は記されていない。

また、1997年6月17日にCDブック『東の海神 西の滄海』がリリースされたときには付属のブックレットに収録された書下し小説『漂舶』に「十二国記外伝」と明記された。

今後の執筆予定
「月刊ぱふ別冊 活字倶楽部Special 5」(1997年、雑草社)
著者がインタビューにおいて「十二国記の本編はあと二か三作くらい。外伝は希望があれば書きます」と発言。
「ダ・ヴィンチ」(2003年7月号、メディアファクトリー)
著者がインタビューにおいて「一連の事件についてはあと一作書けば決着する。」と発言。
TOKYOPOPから英語版が発売された際のインタビュー記事(2007年3月)
今後も十二国記を書き続ける意思のあることを表明している。

アニメ